映画「海賊とよばれた男」国岡鉄造のモデルとなった出光佐三を描いた書籍をご紹介します!



こんにちは!コミコミです。
今日は大ヒット上映中・原作の小説もベストセラーとなっている「海賊とよばれた男」の主人公
国岡鉄造のモデルである出光佐三と彼を描いた書籍をご紹介します!

士魂商才―――侍の魂を持って商売人の才を発揮せよ。
金を尊重しても、決して金・黄金の奴隷になるな。という自戒が込められた言葉だそうです。

その言葉を説いた出光佐三は、石油元売会社出光興産の創業者として知られています。明治から戦後にかけて活躍した日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家、戦前は貴族院多額納税者議員でもありました。
出光佐三のビジネススタイルは、「黄金の奴隷になるな」という名言に見られる通り、利益至上主義に走らずに、大家族主義のもと従業員を身内と扱い、常に信用を重んじ、国益を考えるものでした。

国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ

1981年に佐三が亡くなった際、「出光佐三、逝く」として昭和天皇が詠まれたこの大御歌も彼の人柄を偲ばせるものです。実は、天皇が一般人の逝去を惜しんで歌を詠まれるというのは、めったにない事なのだそうです。

戦前、混乱の戦後期を通して、国の為、石油を必要とする市民の為、身内と遇し続けた従業員の為に粉骨砕身し、人々に希望を与え、今なお小説や映画を以って語り継がれる出光佐三とはどのような人物だったのでしょうか。

―――「馘首はならぬ仕事を作れ」
「海外から帰ってくる社員をクビにするだと? 社員は家族だ。そんな薄情なことができるか。仕事がないなら探せばよい。安易に仲間をクビにして残った者だけで生き延びようとするのは卑怯者の選ぶ道だ。みんなで精一杯やって、それでも食っていけなくなったら、みんな一緒に乞食になろうじゃないか」
「君たち、店員をなんと思っておるのか。店員と会社はひとつだ。家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか!」

終戦直後の焼け野原になった東京で、敗戦ですべてを失い、借金と約1000人の社員しか残らなかった当時の出光において、彼は一人も解雇しないことを宣言しました。
当時は名だたる大企業も従業員解雇やむなしの情勢、特に出光商会は、アジアに支店を拡張し資産の大半をアジアに置いていてそれらの全面放棄を余儀なくされながら、海外支店駐在員や徴兵されていた社員達が帰国を目指していた状況下、人員整理やむなしと進言する社員達との話し合いでの出光佐三の発言です。
この後、仕事探しに奔走するも給与を賄うには足りず、佐三自身の資産、売れる物は全て投げうち借金を重ねることで、実際に1人たりとも解雇する事なく戦後の難局を乗り切りました。「わが社の資本はカネでなく、人間だ。カネは資本の一部だ。いちばん大切なのは人。人が第一であって、人が事業をつくり、事業がカネをつくる。カネは人についてくる」とも唱えていた佐三氏ですが、本当に有言実行の人ですね

―――「一出光の利益のために、イラン石油の輸入を決行したのではない。そのようなちっぽけな目的のために、50余命の乗組員の命と日章丸を危険にさらしたのではない。横暴な国際石油カルテルの支配に対抗し、消費者に安い石油を提供するために輸入したまでだ」
1953年に起きた日章丸事件(※後述)にて。
武装を持たない一民間企業が、石油を恣にするイギリスの誇示する、世界第二の海軍力であったイギリス海軍に「喧嘩を売った事件」として世間は快哉を叫びました。

有言実行、数々の偉業を成し遂げ、日本の石油政策から直接的に影響をうけざるを得ない市井の人々の暮らしを憂い、金の為ではなくまず人の為…俯仰天地に愧じない行動に終始する事を誓った出光佐三の生涯や当時の社会情勢を詳しく記した本をご紹介します!

海賊とよばれた男(上) (講談社文庫) 百田尚樹

海賊とよばれた男(下) (講談社文庫) 百田尚樹

出光佐三という生き方 (別冊宝島 2532)

出光佐三 反骨の言魂 日本人としての誇りを貫いた男の生涯 (PHPビジネス新書) 水木楊

日本人にかえれ ダイヤモンド社 出光佐三

出光佐三 人を生かす言葉 海賊と呼ばれた男の言葉 英和ムック

※日章丸事件とは

長らく大英帝国の影響下に置かれたイランは、第二次世界大戦後も形式上は独立していたものの、当時世界最大と推測されていたその石油資源はイギリス資本の元にあり、
アングロ・イラニアン石油会社(後のBP)はイラン・アバダンの石油を独占し利益を独占。イラン国庫にも、国民にも利潤が充分に回らない状況が続きました。
そのような中、モサッデグ首相は「石油国有化政策」を打ち出し、1951年イランは石油の国有化を宣言。反発したイギリスは、中東に軍艦を派遣し、石油買付に来たタンカーの撃沈を国際社会に表明します。事実上の経済制裁・禁輸措置を執行するイギリスにイランは態度を硬化させます。
これらはアバダン危機と呼ばれ、ペルシャ湾は一触即発の状態に。

石油を我が手に取り戻そうとしたイランですが、買ってくれる国・企業がなくては利益を手にする事ができません。先のイギリスのタンカー撃沈の表明に恐れをなし、またはイギリスから直接かけられる圧力に屈し、イランと貿易の合意に至っても実現出来ない国・企業が続く中、出光商会が名乗りをあげました。

イギリス海軍を回避するために航路を偽装し、浅瀬や機雷を突破し、タンカー日章丸での往復1ヶ月半の輸送を成し遂げ、出光商会はイランからの石油の輸入に無事成功しました。

タンカー日章丸が日本に帰港した後、アングロ・イラニアン社は東京で出光商会に対し裁判を起こすと共に、イギリスから日本政府に処分圧力が加えられました。
しかし、世界の喝采と、イギリスの石油独占を快く思わなかったアメリカの黙認に後押しされ、行政処分は見送られ、裁判は勝訴で帰着しました。

この事件は、世界的に石油の自由な貿易が始まる嚆矢となりました。
その後、独占を打ち破られた事に警戒心を高めた石油メジャー(国際石油資本)は一旦は結束力を高めるものの、産油国も石油を我が手に取り戻す取り組みの火を絶やしてはならないと行動を続け、それがOPECの結成そして台頭へと繋がっていったのです。

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